rep81
「本当にお腹から笑える日は必ず訪れます。」
花島美桜様(38才)
今 病気で泣いている皆さん 本当にお腹から笑える日は必ず訪れます。私が自分の身を持って証明します。長いお話を聞いて下さい。
ご質問は laro_726@yahoo.co.jp までお願い致します。
●人間ドッグ
「ここ最近、疲れやすい。年とったのかしら? でも、まだ30歳なのに変よね?」
こんな理由から、近くの病院で人間ドックを受ける様になりました。
身体全体は特に異常なしという事でしたが初めての子宮頚癌検診でDr,に「あれ?変だなぁ?もしかしたら、子宮後屈か子宮筋腫があるかもしれないから、婦人科へ行く様に」と言われました。
私は、先生の「異常無し」の言葉を期待していたので頭を殴られたような衝撃を受けました。
「ど~しよう」母には相談出来ないし・・・・。私の両親は昔の人間で「未婚女性が婦人科へ行くなんてふしだらな事だ」と言う考えの持ち主でした。
とりあえず、近くの婦人科へ行きました。またあの内診台に乗って嫌な思いをしエコーの検査や採血され「子宮筋腫です。普通の人の倍の大きさに膨らんでいる。すぐにこの薬を飲みなさい」私は、再び衝撃を受けました。
ショックのあまり先生の話しをいい加減に聞いていると「君はこの薬を飲まない気がする。いいね!飲まなきゃ駄目だよ!」そして恐らくホルモン剤?と漢方薬?でしょうか?それを渡されて帰りました。
「嘘だ~! 私が何をしたの!」と自分の部屋で泣いていました。自分自身、特に自覚症状が有った訳ではなく普通に生活していたので、「あの婦人科医師の言う事なんか聞けるか!」と思いそのままほったらかしにしていました。
それから、三年後生理の時に痛みが出てきたのと塊が多くなった事からまた子宮癌検診に行きました。今度は別の年配の女性の先生で、最初の先生とは違って私の話を聞いてくれ、「この先生の言う事なら聞こう」と思いました。
しかし?この先生の診察時間はあまりにも短く(週4日・午前中だけ)母に内緒で通うにはだんだん厳しい状況になってきました。おまけに1年振りにエコーで見た先生は、信じられない事に「大きいわねェ。採ったら楽よ。手術しなさいよ」と信じられない言葉を口にしました。
「先生、私まだ結婚もしていないんですよ。子供も産みたいです。」「無理よ!これは全摘以外に方法が無いわ」もう、この先生の所へは通えない。私はまた泣いていました。その後、癌検診で何ヶ所かの婦人科を訪れましたが何処へ行っても言われる事はおなじでした。
●摩周湖
先生に全摘と言われた頃、家庭内でも問題があり、毎日泣いて暮らす日々がありました。私の事を可愛がってくれた祖母に会いたい!と東京から北海道まで飛行機で行きました。丁度祖母の命日で御墓参りをした後に従弟に「何処へ行きたい?」と言われ「摩周湖がみたい」と言いました。
11月末の摩周湖は湖の蒼さが一段と深く又、気温もマイナス気温な為に何とも神秘的で幻想的な魅力に包まれていました。このまま、この湖に沈めば楽になれる。あの柵を越えれば・・・・。「美桜ちゃん」と言う呼ぶ声で我に返りました。「祖母がまだ来ちゃ行けない」と言ってくれたのかもしれません。
●インターネット
アマチュアオーケストラに入っている私はオケの団内連絡の為にとパソコンを購入しました。真っ先に子宮筋腫と入れ広尾メディカルクリニックの事を知りました。「私の事を助けてくれるのはこの齋藤先生しかいない。でも、今はすぐに行けない。ギリギリまで待って最後の頼みの綱にしよう。」とHPのアドレスをお気に入りに残しました。結婚したらダンナ様に連れていってもらおう。その前に大出血したら、仕方が無い両親に全てを話そう。と心に決めました。
●最悪の症状
今までは身体が疲れた時には、絞られるような子宮の痛みを感じたり。2日目には出血が多くてトイレから出られない。2日目と3日目の夜はナイト用ナプキンにタンポンを併用でも3時間しか寝られない。尿意があるのにおしっこが出ない。出産だってきっと?こんなには痛くない筈。とか言う事は経験しました。それでも、自分自身で身体を疲れさせないように便秘しないようにとコントロールしてきました。
貧血の為に、90分のバレエのレッスンも1時間も経たないうちにダウンしてしまい、自分自身、踊れない事に口惜しい思いもしました。(その時は貧血とは知らずに、太ったのかな?と思っていましたが・・・。)最後まで生理の2日目3日目は恐怖でした。
●生理が止まらない
今年の一月から風邪を引きずり、少し良くなったかと思うとまたぶり返すという事がありました。三月になってとうとう本格的に寝込んでしまい、その時に丁度、生理が始まってしまいました。既に薬づけになっている私の身体は抗生物質を飲んでも回復しません。
10日程寝込んでしまったあとに、やっとこ起きあがれるようになりましたが・・・・。ところが、生理がまだ続いているのです。(10日目のはずが、4日目ぐらいの出血量で)内科の先生に相談すると「すぐに婦人科へ行きなさい。嫌だと言っている場合ではないよ」といわれ仕方が無く又婦人科の門をくぐりました。
●レディスクリニックでの事
久しぶりに行く婦人科は又、緊張でした。「もう、観念して全てを受け入れよう」とまた内診台の上に上がりました。先生は「大きすぎてエコーが写らないです。内膜症とチョコレート膿胞もありますね」と言い。とにかくMRIを撮りましょう。と言いました。帰りに止血剤やらビタミンC鉄剤に漢方薬風邪薬と持ちきれないくらいの量の薬を貰いました。
後日、保健センターにMRIを撮りに行き、次の再診の時に「コピーを頂きたいのですが・・。」とお願いしたにも関わらず、先生はMRI診断書のコピーをくれました。「受付けで再度フィルムのコピーが欲しいのですが」と言うと「ここにはフィルムはありません」「?」なんと、先生はMRIのフィルムを見ないで私の診断を下していたのです。それに、ダナン(ボンゾール)を4週間分渡され、この薬の副作用である血栓の事には何も触れませんでした。アメリカではこの薬による死亡者が出ているそうです。
●齋藤先生のメール
初診でレディースクリニックに行った日に駄目元で齋藤先生にメールを出しました。翌日に先生からのお返事を頂き嬉しくてすぐに予約のお電話を入れました。何処の誰だか?解からないこの私に、子宮温存の大切さと涙が出るほど嬉しい励ましの言葉が綴られていたのです。
●広尾メディカルクリニックでの事
病院へ行くと「ここは本当に病院?まるでペンションにでも来たみたい。」オルゴールの音楽の中、お花畑にいるみたいにソファでくつろいでしまいまいした。そのホッとしていた時に先生の言葉に私はガ~ンと衝撃を受けました。初対面の先生はとても怖かったです。
私の病状をお話される内容は、全て先生のおっしゃるとうりですし本当の事です。最近行った病院では、こちらの姿勢も身構えて行っていた為に何を言われても平気でした。(前は行く度に泣いていましたが・・・。)でも、MRIの画像を見ながら説明して下さる先生を見ていると、本当の事を言われながらも恐怖でした。
今回の手術も「友達と旅行で一週間程、家を空けるから」と嘘の理由まで考えていました。先生は「君の両親に内緒で手術するわけにはいかない。君の病気は治してあげるから両親を説得してきなさい。説明が必要ならば、ここへ連れてきなさい」と穏やかながらも厳しい口調でお話され、帰り道、私はまた泣いていました。
家に帰って、両親に「話しがあるの。聞いて。私、今日病院へ行って来た。」すると母は「子供が出来たの?」と全然見当違いの答えでした。全てを聞いた両親は「信じられない!そんな、インターネットで見つけた様な病院は信じられない!国立病院へは行ったのか?そんな病院で手術させる訳にはいかない!ちゃんと他の病院で検査してもらえ!」と取り付く暇もありません。
「斎藤先生が広尾に来れば説明してくれる。」と話すと「電話してこれから直に行こう!」と父。しかし、「今日の診察はもう終りました。」と言われ仕方がなく、ゴールデン・ウィーク明けの予約を入れました。しかし、翌日両親は嫌がる私を国立医療センターへ連れていったのです。
●国立医療センター
一人で待合室で待っていると、大きなお腹を抱えた幸せそうな妊婦さんが沢山います。私は名前を呼ばれるまでの待ち時間に、昨日齋藤先生に頂いた『子宮をのこしたい10人の選択』を夢中で読んでいました。順番が来て先生と話しをして、またあの内診台の上へ。「ちょこっと痛いですが我慢をして頑張って下さい。」いきなり子宮体癌の検査でした。ただでさえ苦痛なのにあんなに痛い思いをさせられるとは。
帰り道、両親の事を恨みました。その後、検査結果を聞きに行くのが嫌でしょうがありませんでしたが1ヶ月程して齋藤先生に「体部のガン検診の結果については一応お聞きになっておいては如何ですか。」とメールを頂き再び重い足を運びました。
今度の先生は、前回の先生とは違って特に厳しいDr.でした。カルテの膣CT画像を見ながら「大きいねぇ!結婚は?子供は?いいですか?ここは手術を受ける人が沢山います。その中で普通は手術無しで治す様に進めるのですが、あなたの場合はすぐにでも手術です。迷っている暇はありません。MRIの予約が6月18日です。この日をはずすと、2ヶ月先になります。そうすると大変なことになります。その年令では、まだまだ大きくなります。早く検査をして手術をしないと・・・・・。」ともの凄い迫力で全摘を促しました。
その時は既に広尾で手術待ちの状態でしたので曖昧な返答をする私が「とりあえず、又来ます」と言うと、「ここの病院じゃなくても良いから、すぐに検査をしなさい。他の病院へ行くのなら紹介状を書きますから・・・。」紹介状を書きながら「あなたのは子宮筋腫じゃない!巨大!子宮筋腫!です。良いですね!」とDr.も一生懸命でした。
●両親と広尾メディカルクリニックへ<
連休明けに両親を連れて再び鶴見へ来ました。「こんな病院?」「こんな普通の家みたいなところで本当に手術出来るの?」と半ば驚いていました。私はすでに疲れ果てていたので、半べそ状態で齋藤先生に再会しました。
カルテを見て私の顔を見ると「君か?」と笑いかけてくれました。私は「私の話しじゃ信じられない。と言われ両親を連れてきました。説明をお願いします。」と言いました。齋藤先生に説明され、再び両親は驚いていましたが、今度は「自分の親なのに・・・何故話さないで一人で抱えていたのか?」と又不思議がっていました。「何故具合が悪い事を言わない!」と母に言われ私は「具合が悪くても『どうした?』とは聞いてもくれなかったじゃない!」言いながら、震えて泣いていました。
看護婦さんが直に肩を抱いてくれて「大丈夫ですか?」「ごめんなさい、先生失礼します。」眼に涙を一杯溜めながら私は隣の事務室の中でワンちゃんの頭を撫ぜていました。《私だって本当は聞いて欲しかったです。》今回の事も母に相談しない事を問われ「何故言わない?」としかられました。私にとっても「子宮筋腫」は自分の胸に収めるのにはあまりにも重すぎる病名でした。ずっと「何時話そうか?」と考え、その度に他のお嬢さんの事で「未婚女性が婦人科へ行くなんて・・・・。」とタイミングの悪い事ばかりが続きました。齋藤先生の丁寧な説明のお陰で帰り道「全てをおまかせしよう。良い先生に出会えて良かったね」と言われ私はやっと胸を撫で下ろしました。
●入院までの間
私の場合、ヘモグロビンの値が6~7と言う状態でしたので、本当なら1年後の予約のはずなのに、間に割り込ませて頂く為に電話で連絡待ちという事になりました。手術は7月の末に連絡を頂いて8月27日手術と決まりました。初診の時に「術前輸血が必要になるかもしれない。」と言われ、「出来れば輸血は避けたいけど鉄剤は・・・・・。」と先生に言われました。それでも内科と国立医療センターで頂いた鉄剤を夜だけ飲んでいました。後は半乾燥プラムをおやつ代わりに、一日10個ほどを何回かに分けて毎日食べていました。プラム効果のお陰か?何と術前検査では値が14にまで上がっていました。
手術が終ってから看護婦さんに「あの~、輸血はしたんですか?」と聞いた所「大丈夫でした。」と聞かされ安心しました。しかし、鉄剤のせいか?毎回の生理の出血量は増えていたような気がします。今になってみては笑い話になりますが、私は手術までの1ヶ月間に「これで自分の人生に悔い無し。万が一?神様のもとへ行く様になっても良い。」と思い、思いっきり!好きな事をして好きなものを食べ入院前夜には遺書まで書きました。
●8月27日(月)入院当日
一週間前ぐらいから些細な親子喧嘩で父と口をきかない状態が続いていましたが、朝「じゃ、行ってくる」と言うと「ああ」と返事が返ってきて私は家を出ました。母は心配顔で見送ってくれました。
広尾メディカルクリニックには約束の時間に10分遅れで到着です。赤いリースの部屋に案内されて「これに着替えて下さい」と手術着を渡され着替えてから順に浣腸、悌毛、点滴をしてもらいました。先生が入ってこられて「君の番は2番目だからね。覚悟しときなさい」と笑いながら言って行かれました。
点滴をしながら「音楽を聴いても良いですか?」と言うとCDのリモコンを持ってきてくれて小鳥のさえずりのCDを聴いていました。お昼頃だった?でしょうか?「そろそろ行きましょうか」と看護婦さんが呼びに来てくれました。「緊張がほぐれた所為かお腹がすきました」と私が言うと、笑いながら看護婦さんは「もう、まな板の上の鯉になってください」と言われました。
●手術
初めて見る手術室は「明かる~い!普通の部屋みたい。でもあのライトはTVで見た事がある。わあ、器械が沢山ある。手術台って思った以上に小さい」と半分興味深々でした。手術台の上に上がると服を脱がされ、心電図や血圧計他の器械がつけられ鼻に酸素チューブもつけられました。
麻酔医の先生が来て、「背中を先生の方に向けて身体を丸めて下さい」と看護婦さんが私の身体を支えながら言い先生が背骨を強く押してました。「痛いけど我慢!」その内、背中に注射の針が入るのが解かりました。(これは硬膜外麻酔をする為の局部注射の針でした。)仙骨に注射された時は、思わず「いた~い!」と叫んでしまいました。消毒した綿花でお腹を拭きながら麻酔医の先生に「これは冷たいですか?」と聞かれ。「冷たくはないですが、触っているのは解かります」と私は言いました。
麻酔が完了すると今度は、尿導カテーテルが入れられ手術部位の消毒が始まりました。私は齋藤先生に「お願いします!」と言いましたが、声になっていません。消毒中の感じは、まるで正座で足がしびれている時に指で押されてジンジンした感覚がお腹にあります。その直後、有窓布を掛けられてあっという間にお腹から引っ張り出されるような感覚がありました。
そのまま麻酔で寝てしまったのか・・・、途中で麻酔の先生が私の顔を見ながら「痛いですか?」と聞いてきました。私は「痛いです。(本当は苦しいです。だったんですが)」「麻酔を追加します。」そして遊園地の空飛ぶジュ-タンに乗っている感覚で意識が遠のきました。再び「苦しい、もうやめて!」と言う思いで私は、足首をバタバタさせていました。「足を動かさないで!」と看護婦さんに足を抑えられ、今度は血圧計のついている腕の指から手を持ち上げようと動かしていました。すると、看護婦さんが来て私の手をず~と握ってくれていました。
麻酔の先生が「痛いですか?」と聞いて「いたいです!」と私。齋藤先生が「もう少しだから、頑張って!」と言われ声にならないうめき声と共に、苦しみの数分間でした。楽になったと思ったら術後処置がテキパキと進んでいて気が付いたら自分の病室のベットの上で寝ていました。(あの時、ず~っと手を握ってくれた方に本当に感謝です。あの手のお陰で私は心強い思いでした。)
後で聞いた話ですが、私の場合は強度近視の所為で眼圧が高く麻酔薬の中には緑内障の人がつかうと失明するかも?知れない薬があった為に普通の方が使う麻酔薬が使えなかったそうです。「麻酔の先生がとても苦労していたよ!」と後で齋藤先生に言われました。
●8月28日(火)
ほとんど、痛みのせいで眠れない夜が明けました。看護婦さんには本当に頭が下がります。夜中の間中体温と血圧と出血の処置に時間毎に来てくれ「大丈夫ですか?気持悪くはないですか?」と聞いてくれました。
朝、身体中に付いている器械を外して背中の麻酔のチューブを抜いてもらい。その後「さあ、歯磨きして下さい」と言われベッドを起してくれました。顔を拭かせてもらって。午後には身体の清拭をしてパジャマに着替えさせてくれました。「はい立って!歩いて2階の部屋に移りますよ!」内心「え~!」でも・・・・。
ゆっくりとですが起きて。立てる。歩ける。「嘘みたい!」階段下の診察室前まで行くと中で齋藤先生が笑っていました。「こんにちは」「先生はマジシャンです。嘘みたい!歩いています私」「嘘みたいでしょう!でも昨日だったんだよ!」と言われ「君はやせなさい!オペ前に血圧が高いのでビックリした。危険だったよ!」と言われました。
夕方に自力でトイレに行きましたが尿意があるのか?無いのか?解かりません。腹筋が使えないからチョロチョロ出ているだけでした。でも「トイレに行けたぁ!」と嬉しくなってしまいました。夕食にお茶とコンソメスープと乳酸ドリンク?でしょうか?「こんなに美味しいスープは初めて」と嬉し涙でした。
●8月29日(水)
今日も又手術があると言う事で病院内はシーンとしています。オペ前に先生がいらして「どうですか?」ときかれて「大丈夫です」と答えてしまいました。看護婦さんには素直に「痛いです!」と言えるのに何故か?先生には退院まで「痛い」とは言えなかったんですね(笑)。
たまにストレッチャ-の動く音と足音がします。私も寝ていても痛いだけなので、気分転換にソファのところへ行きました。そこには患者さんのお母様が心配顔でいらして。「大丈夫ですよ。私もこんなに元気に回復しています」と話すと少しホッとされた様子でした。
夕食に3分粥とおいもが出ました。ところが、傷の痛みが治まってきた所へ腸が動き始めてガスが溜まり、また苦しい一夜となりました。寝ても苦しい、起きていても苦しい。ナースコールをすると「これはガスとお通じが出ない事にはどうしようもない。この状態で下剤を飲んだらもっと苦しい思いをしますよ。」といわれ仕方が無く夜中の院内をうろうろしていました。その後、明け方にやっとお通じがあって、少し寝れました。
●8月30日(木)
夜中に寝られなかったくせに、「ワンワン」と声を聞くとベットから起きている自分がいました。先生の愛犬パルちゃんの声です。点滴のスタンド押しながら私はパルちゃんと遊んでいました。午後にはお腹のチューブを外してもらい「この前ここに寝ていたのは4日前の事になるんですねェ!早いなぁ?」「そうだね。早いね」と先生。
そしてシャワーを浴びました。気持良かったぁ!シャワー室にあるナースコールのスイッチが釣りのルアーで出来ていて、間違って触ったら「どうしました?」と看護婦さんが聞いてきました。失敗!部屋に戻ると両親が心配顔で見舞いに来ていました。「元気になって良かった!先生にお礼を言いに行こう」と3人で下へ降りていきました。
先生は「術中大変だったのに、翌日は一番元気な顔をして立っている。君が一番問題児になると思ったのに違った?」と笑っていました。母が「どのくらい?切ったのですか?」と聞くと「スパッと8センチ切りました。」と先生。その話ぶりがおかしくて笑うと「そのその口!その口の大きさだよ!」とまた笑わせられました。最初のイメージとは大きく印象が変わって斎藤先生には最後まで笑わされっぱなしでした。
夕食前に先生から「これ、君の分」とファイルを渡されました。手術記念ファイルです。中を見ていたら、凄いのと専門的な言葉が解からなくて、思わず注射を打ちに来た看護婦さんに色々と聞いてしまいました。話し声が外まで聞こえたのか?齋藤先生が入ってこられそのままずーっとおしゃべりしていました。「続きは又明日話しましょうね」と言われて時計を見たら夜中の十二時前でした。先生ゴメンナサイ。
●8月31日(金)
入院してから、初めてぐっすりと寝られ目覚めは最高でした。朝顔を洗ってTVを見ていたら「朝食の用意が出来ましたよ」と呼ばれ2階のリビングに行きました。そこには、同じ日に手術した2人が居て、3人でおしゃべりしながら食事をしました。出てきた筋腫の事を話したり(私のは粘膜下筋腫・内膜ポリープ・チョコレート膿胞・筋腫と全部併せて1,020グラム。)2人に「多いですねェ!」と言われ「傷口は痛くない?」「腰は?」「食欲は?」と次から次まで話しはつきません。看護婦さんに「お話が弾んでいるところ申し訳ないですが、皆さんそろそろ点滴の時間ですが・・・。」と言われて「又、後で!」とそれぞれお部屋に帰りました。
自分でもこんなに元気になれるとは。本当にビックリです。「お昼御飯の時間ですよ。齋藤先生もご一緒です。」と呼ばれて又リビングに行きました。「にぎり寿司?良いんですか?食べて?」先生は「どうぞ!」「美味しい!」「そりゃ、そうでしょうよ。」と笑っていました。又先生のお話に笑わせられ「お腹がいた~い。笑わせないで下さいよ~!」でも先生は「笑って腹筋を鍛えて傷を早く治すんだよ」とまた笑わせます。
食事の後はティータイムです。水曜日に手術した3人も2階へ上がってきて一緒にお茶を飲みました。月曜日に手術した3人にはメロンとケーキまで出されて「ホントに食べて良いんですか?」「ホントに食べていいんですよ!」と看護婦さん(笑)「ワ~イ」と子供みたいにはしゃいでいました。外来診療でいらした初診の方や手術して月日の経った再診の方など、大勢の人たちでティータイムの楽しい時間はあっと言う間に過ぎていきました。
夕飯は、また3人で今度は和風ハンバーグを食べました。夕食後に下のお部屋を訪ねておしゃべりしていると、また齋藤先生がトントンと入ってこられ「こんな狭いところで話さないで上へ行こうよ!」と誘いに来ました。また5人でお喋りです。先生のお話を聞いているとあっという間に時間が過ぎます。時計はまた十二時近くになってしまいました。
●9月1日(土)退院
今日は家に帰れる!バンザーイ!朝から家に帰れる嬉しさと、ここを離れる寂しさとが複雑に入り混じっていました。朝食の後、手術室の準備を見ながら「ここで始まり、もう今日で終りなんだなぁ!」と何だか寂しさを感じました。かなり痛い思いもしましたが、楽しいことも沢山ありました。抜糸をしてもらい、先生に「カルテに貼るから。記念写真。笑って!」と写真を一人ずつ撮ってもらい、最後は先生と一緒に皆で撮りました。
帰りは、何と私だけ、先生の車で家まで送り届けて頂きました。最初に泣きながら広尾メディカルクリニックを訪ねた私は今、笑っています。これも、齋藤先生はじめ事務長さんナースのみなさんのお陰です。先生に命を救って頂いてあの手術を境に私自身が生まれ変わったような気がします。本当にお世話になりありがとうございました。
●退院後
翌週の月曜日から、仕事を再開しましたが本当ならまだ入院していてもおかしくない身体です。やはりお腹が痛くなってしまい2時間立ち仕事をすると30分横になるという繰り返しでした。また入院中は点滴のお陰で元気でしたが、退院後は身体が疲れやすく、かえって病人に逆戻りをしたみたいでした。
傷口の消毒を自分でした時です。「こんなにきれいになっている。」まだ傷口は痛々しく見ていると、あのオペの様子が蘇ってきますがちゃんと肉の盛り上がりもなくきれいに縫合された跡がある。改めて齋藤先生の技術の凄さを感じました。
手術から14日目に自分の所属するアマチュアオーケストラの定期演奏会があり「弦楽器だから大丈夫だろう?」と考えていた私は甘かったです。何とか本番は弾く事が出来ましたが、それまでの間は随分と仲間に助けてもらいました。普通に椅子に座っているという事がこんなに大変な事とは・・・・。(腹筋が完全に使えないから、無意識に背筋や他の筋肉を使い、おまけにホールの冷気に当たってまた痛みとの戦いでした。)何かあると、すぐに広尾へ電話してその度に優しく応対してくれたみなさん。本当にどうもありがとうございました。
この長い文章を読んでくださった方ありがとうございました。私の様に辛く悲しい思いをしている方に「決して諦めないで下さい!必ずお腹から笑える日は来ます。」とメッセージを送りたいです。
これから手術を受ける方のお役に少しでも立てられる事を願いながら
皆様からのご質問をお受けいたします。
ご質問は laro_726@yahoo.co.jp までお願い致します。
解説
7年前より複数の病院を訪れる。期間の長い不正出血が続き、血色素6.6
漢方を処方されるも服用せず放置、その後、腹痛も強くなりなり、
ボンゾール等の偽閉経療養を行うも出血が止まらず。
ご本人がインターネットで広尾MCにたどり着いた時は、“命”を感じたと。
人生を救われたと、その後恩返しにと看護師の道に・・・。現在邁進中。
検査データ

MRI

![]()
電話でのご相談で迷われている方、まずはご質問をされたい方などはお問合せフォームからお気軽にどうぞお問合せください。患者様の秘密は厳守いたします。



